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ロシアとおろし金

嘉永6年
江戸の日本橋付近の裏店に金物修理職人がいた。
名前を金兵衛という。
取り立てて目立つ才能のないぐうたらと暮らしてるだけの男である。
その日も暇を持て余した金兵衛は友人と連れ立って江戸前のアナゴでも釣りにいくかと船を漕ぎだした。
取り立てて才能がないと書いたが、金兵衛には一つだけ誇れる才能があった。
それはモノマネである。
歌舞伎俳優から町の金魚売りのマネまでそれは見事なものだった。
居酒屋で一杯引っ掛ける時、モノマネを披露し客の喝采を浴びてから寝床につく時が金兵衛の至福の時であった。

さて、船で漕ぎ出したもののなぜかその日は晴天なのに波荒く船は大揺れであった。

不思議に思った金兵衛がふと遠くをみるとそこにロシアの蒸気船が近づこうとしていた。
当時開国を求めて江戸湾近くまできていたプリャーチン大使の船である。
しかし幕府との交渉が認められずやむなく函館へ向かうところであった。

そんな事はつゆしらず、蒸気船の起こす波に巻き込まれてはならじと金兵衛たちは力一杯漕ぐが船はなぜか蒸気船の方に引っ張られて行く。
とうとう金兵衛たちはロシアの蒸気船にぶつかってしまった。
引き上げられた金兵衛たちはロシアの大男たちに囲まれビクビクしていた。
一人の大男が身振りで船を貸してやるから帰れと言っている。
金兵衛たちは大きくうなづき蒸気船に載せてあった小型のボートで帰る事にした。
その時金兵衛はついつい得意のモノマネでその大男たちが喋るロシア語を真似てお礼の素振りをしてしまった。
これにはいかつい船員も手を打って喜び、面白いのでもっとやれとけしかけた。
調子に乗った金兵衛は鳥の真似猿の真似ドンドン披露した。
船員たちは面白がって金兵衛だけはこの船に残れと言う。
そうしないと友人達も全員帰さないと。
金兵衛は覚悟を決め一人残る事にした。
友人達は涙を流して別れを告げた。

船内で金兵衛は求められるままにモノマネを披露しながら暮らした。
船員の身振りでどうやら函館まで連れていくらしい事がわかった。
函館に着いたら下船させると理解した金兵衛は安心感から船員達と気軽に身振りではなせるようになった。
翌日船内で金兵衛はあるものを見つけた。
それは洗濯板程の大きさの板に釘の先っぽをつけた道具である。
金兵衛は船員の一人にこれは何か?と尋ねた。
船員の身振りではこれは釣った魚を細かくする道具らしい。
細かくした魚は肥料として畑にまくのだという。
金兵衛はその細かくした魚を食べたらうまそうだと思った。

函館に着いた金兵衛はやっとのことで下船する事ができた。
降りる直前船長のモノマネを披露して喝采を受けた金兵衛は例の道具をお土産にもらった。

当時外国船に乗ったものは大罪である。
金兵衛も当然松前奉行所に引っ立てられた。
様々な詮議を受けたが金兵衛にやましいところなしという事当面監察処分となり金兵衛は函館の大商人 江戸屋勘兵衛におあずけとなった。

勘兵衛は金兵衛からロシア船の様々な事を聞いたが、特に金兵衛が持ち帰った例の道具に目を留めた。

説明を聞いた勘兵衛も金兵衛のいうようにこの道具で細かくした魚を食べると美味かろうと思った。
早速料理人に使わせできた魚を食べてみた。
しかし味は思った程のものではなかった。

この道具はやはりロシアが使う方が良いのだという事になった。

結局金兵衛は勘兵衛の厄介になりながら函館で生活をしはじめた。
丁度サンマの水揚げが終わったばかりの頃の事である。
例の道具の使い道について諦めきれない金兵衛であったが、ふと魚がダメなら野菜を細かくするのに使えないか?と考えた。
手元にあった大根をさっそくすりおろしサンマと一緒にすりおろした大根を食べてみた。
なんとこれが絶品!
当時もサンマに大根はついていたが現在のようなおろした状態ではなく、細千切りにしたままであった。
すりおろした大根とサンマがこんなに合うとは!
金兵衛は勘兵衛に報告した。
その旨さに感心した勘兵衛も松前奉行に報告し、さらに江戸へ、最後は将軍も口にする事となった。

そのダイコンおろしとサンマを口にした将軍が絶賛したとの知らせが金兵衛に届き、なんと金兵衛に苗字帯刀の許可が出た。

恐れ多いと怯える金兵衛を勘兵衛がさとし、勘兵衛が考えた苗字は卸屋であった。
もちろんロシアとかけてある苗字である。
卸屋金兵衛の誕生であった。

その後さらに金兵衛は持ち前の金物修理の技術を活かし、羽子板に釘の先を乗せ小型化した。
これが、大評判。

あっという間に日本中に広まった。

人々はおろしたダイコンとサンマの妙味に舌鼓を打ちながらその道具をいつしかこう呼び始めた。

「オロシヤ金」
もちろん金兵衛の金である。

金兵衛はその改良の功を評され松前藩から武士として取り立てたれ、その後松前でずっと暮らしたという。

こうして瞬く間に全国に広まったオロシヤ金はおろし金と名前を変え今も日本の台所に欠かせない道具となっている。

ロシアとおろし金の意外な関係のお話である。
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という嘘を思いついたので書いてた。

ツルの恩返し

昔々山の中を通りかかった村人が罠にかかって苦しんでいる鳥を助けてあげました。
村人が家に帰ると戸を叩く音がします。
「私は昼間助けていただいた鳥です。恩返しの為に奥の部屋で着物を織らせて下さい」
村人はさてはツルの恩返しかと喜びました。
「絶対に戸を開けてはなりません」
そう言われた村人はまだかまだかと着物をが出来るのを待っていました。
しかし待てど暮らせど奥の部屋から出てきません。
それどころか着物を織る音さえ聞こえません。
痺れを切らした村人が奥の部屋を覗いてみると、そこには窓から家財一式持ち出そうとしている鳥がいるではありませんか。
「おい、ツルの恩返しで着物を織ってくれるんじゃないのか!」
そう村人が問いかけると鳥は言いました。
「わしゃツルしゃない鷺じゃ」

このお話小学校の頃に聞いた。
面白い言葉遊びだなあと感心した。
それだけ。